先日もちクリにいって(ちなみにもちクリとは"おきもちクリニック"の略で、心療内科をマイルドに表現するメンヘラネットスラングです)おそらく僕の認知の歪みとなった、核となる出来事を先生に話した。
あまりにも日常では経験することのない、ショッキングな話なので具体的なことは割愛する。ざっくり言うと、どんな理由があろうと人に対してやってはいけないことをされた。
そしてその出来事に対し、僕の母親は僕が悪いと憤り、存在を否定し、父親は傍観していた。
それから十年以上は経っているが、未だにこの出来事が僕の心の中に鎮座し、僕の言動は相手の怒りを誘発する可能性があると、時おり思い出しては対人関係においては身を引きしめた。
しかし馬鹿な僕はそのトリガーが何であるかを完璧に理解するにはいたらず、他人と距離をとるようになった。
正解がわからないから応急処置として、口を閉ざした。積極的に人と関わることを避けた。
この話について、もちクリの先生はまるで自分のことのように母親の言動を怒ってくれた。僕がその時に感じるはずだった怒りを、悲しさを、違和感を、あの出来事はあきらかにおかしいと、まるで当時の僕に起こるはずだった感情を表現してくれた。
そして、大人としてかなりの年月を重ねた僕に、そのトラウマから逸脱し、これからの人生はトラウマに捕らわれずに生きていくことを示唆してくれた。
つまり過去に起きたことは酷い出来事であるが、これからの未来はそのことに干渉される必要はないと。
この先生の言葉は、いつかの杉元が言った
「誰から生まれたかより、どう生きるかだろ」
を思い出させた。
初めてこの台詞を読んだとき、僕は「いやいや、親ガチャって人生の8割くらいを決めちゃうもんだぞ?」
なんて、ちょっと鼻で笑ってたし、冷めた目でそのコマを見ていた。
けれど尾形の最期のシーンを読んで、起こった事実は覆されることはないけど、それは単なる記憶で、いや単なると一蹴してしまえるものではないけど、すでにどうにもならないもので、変えられないものをどうにかするより、形のないものをどう作るかに目を向けていこう、と思った。
どうにもならないものに捕らわれて残りの人生を消化するより、その後の人生からできるだけ不幸を減らすことを考えよう。反面教師ではないが、僕にはあのシーンがそんなふうに見えた。
尾形が右目を失っても尚、銃を手放さなかったことで「おまえだけは生きることを手放さないでくれよ」なんて、自分の人生を預けた気にすらなっていた。
しかし預けたはずの人生が方向を変えて戻ってきた。
こんなふうになったらいかん!と。
過去を原動力にすると、その過去に首を絞められることになる。
ここで杉元の「どう生きるか」を思い出し、尾形、たまには杉元の言葉をまじめに聞いといた方がいいぞ。などと思ったのだった。
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