完結したら書こうと思ってた話です。
なんで完結してからにしようと思ったかというと、読んでる人に生々しい私の思想バイアスをかけたくなかったからです。
なのでシリーズを読了してから読むことをお勧めします。
このシリーズを書こうと思ったのは、漫画「ギャングース」がちょうどアプリで無料だったので読み返したのがきっかけです。
連載中はそこまで引っかからなかったけど、最終回の事件を知った人々の感想にショックを受けました。
作品のあらすじはwikiで調べてもらった方がわかりやすいかと思いますが、要は貧困が生んだ不幸のお話です。すごーくざっくり言うと。
そこで「生い立ち悲惨なやつが全員犯罪者になるわけじゃねーし。単なる自業自得だよな」って台詞があるんですけど、あれにね、もう怒りとかじゃなくショックを受けてしまって。いやたしかに生い立ちが悲惨な人が全員犯罪者になるわけじゃないのはわかってます。でも、「ケーキが切れない子供たち」にもあるように、適切な養育環境下にいないことが原因である場合だって多いわけですよ。
それを『自業自得』で片づけちゃう彼の台詞が、世論にも思えたんです。全員がそう思ってないにしても、おそらくこれは大多数の意見ではないかと。
そう思ってしまうのも、遠い国の貧しい子供たちを嘆くわりに、現在日本にいる貧困家庭を嘆く人ってあまり見ないんですよ。相対的に。自分の国なのに。だって先進国で貧困家庭が六割って異常じゃないですか。でもよその国の戦争には毎日意見して寄付もするけど、駅前のホームレスに施しを与えたりなんかしらの手助けをしてる人、それについて言及してる人ってあまり見かけませんよね。新宿で炊き出しのボランティアやってる人たちくらいじゃないですか?
なんで海の向こうの国のことはあれこれ言えても、目の前の困ってる人たちを助けるための意見は少ないんだろうって考えたんですよ。
それはよその国で起きてることを語るのは労力がかからないからじゃないかって。
身近な問題に手を出すと、その責任を少なからず負わなきゃいけなくなるはないですか。じゃああんたがやれよって。でも国外のことだと別に言うだけ言って何もしなくてもいいわけじゃないですか。募金なんかも指先を動かせばできるし。
無責任に干渉できる問題にしか、みんな口を出したがらないんですよ。
今話題の某国について意見はするけど、毎日使う駅の前にいるホームレスについては無関心でいたい。ホームレスなのは自己責任だ。戦争に巻き込まれている人たちは自分の意思の外で悲惨な目にあってるからかわいそうだ。
ホームレスの人たちひとりひとりになんかしらの事情があるわけで、それを一括りにして助けない理由にするのは自己責任じゃなく無責任っていうんじゃないかなと思います。
あと「いつ自分たちも事故かなんかに遭ってそうなるかわからない」っていう人。あれもね、それってかなり低い確率のことで、ほぼそうならない前提の上から目線にしか思えないんですよね。つまり、安全圏から霞の向こうの不幸をしのぶみたいなことで、実感のない空想なんですよ。要はファンタジーみたいな。だから理解しようともしないんですよね。だってファンタジーだから。そういう人たちにとって、貧困はファンタジーだから、同じ目線に立つ気もない発言に思えるんですよ。まあ貧困に陥らないにこしたことはないんですけど。
でも、私は障害があって、「誰でも事故に遭っていつ障碍者になるかわかりませんからね」って言われたとき、生まれつき障害のある私の存在は事故なんかいって思いました。そんで「あーこの人は絶対こっち側になることないってたかをくくってるからこういう空想じみたことが言えるんだろうなー」と思って苦笑いをした気がします。
まあ散々書きましたけど、当事者にならないとわからないことってたくさんあります。
別に貧困層の気持ちを理解したからってなんの得にもならないと思います。障碍者の気持ちがわかったからって辛いだけなんで、知らない方が幸せかと思います。
それよりも遠い国の戦争を語った方が有意義だと思うし、ちょっと賢い人に見られてお得だと思います。ホームレスについて語ったところで「いいね」はもらえないでしょうし。
なんかで読んだんですけど、「その人の立場になって考えるには、その人よりも下の目線にならなければわからない」って言葉に、ほんとそうだなと思いました。
そんな感じで私の思いがどう捉えられるかはわかりませんし、捉え方は自由ですが、一回でいいから小説で社会をぶん殴りたかったんです。
その願いが今日ようやっと形になりました。
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