まあこれは某ロボットアニメの次回予告なんだが、これを聞いた時に「ほんとそれな!」って思うくらいに私は先のことがわからない。
わからないというか、考えようとすると二手先ぐらいで頭に靄がかかる。まるで私の未来は存在していないかのように思考がエラーコードを吐き出す。
そんな状態なので、前回のイベントのように数ヶ月先の自分の予定などまったく想像できず、やっと靄が晴れたくらいの場所に辿り着いた時にはすでに申し込みが終了していたという有様なのだ。
しかし同人イベントというものは、平気で半年以上も前から申し込みが開始されていて、下手するとすでに来年のイベントまで予定されている。来年てあんた、今年ですら始まったばかりなのに。
そんな半年以上先の自分がいったいどういう状況にあるかなど予測がつかない。イベントに限らず普段から先行き不安な人生を送っているので、行ける算段がつくかどつかもわからないイベントの参加費を支払うという行為は博打なのだ。
このご時世だからというわけでもなく、自我が芽生えてからこんな生き方をしてきて、人生設計というものを考えなければいけない年齢に達してもそんな果てしなく金ばかりが飛んでいく未来を考えただけで目眩を起こして「まあそん時考えればいっか」を繰り返してなぜかここまで生きてきた。むしろそれでここまで生きてこられたのが不思議なくらいなのだが。ここまで読んで薄々察してる人もいるかもしれないが、ほんとうにやばいと感じる土壇場で脳がフル回転するのでなんとか危機を回避するタイプなのだ。言ってしまえば常人にあって然るべき脳の部分が欠落している。
それでいてなぜ原稿だけは落とさないどころか早割り入稿できるのかといえば、単に計画することができないので「とりあえずコツコツ書いてれば終わるだろ」という考えでこなしているからである。無計画ゆえの処世術かもしれない。原稿はやってればいつかは終わるのだ。
「一日何ページ書けば何日で終わる」などという、締切日からの逆算なんて高度な計画を練ろうとするとまた頭に靄がかかる。それよりならペースはよくわからんが、書ける時に書いてれば終わる。
アンソロやロゴの依頼は落としたら信用に関わる。支払いが遅れたら遅延金を払えばいいが、近しい人間の信用は金では取り戻せないのでそれも躍起となって締切は守る。そもそもいくら先が見通せない私でも一ヶ月や二ヶ月先の締切は見える。なぜならそれは自分が頑張れば到達する未来だからだ。しかし人生だけはかなり早い段階で数十年後を見越して行動を起こさなければどう足掻いても立ち行かなくなってしまう。安定した生活を得るためにしなければいけなかった努力はできなかったが、二ヶ月くらい先のしなければいけない努力はできる。
というすでに手遅れな人生を歩む中で、半年以上先のイベントに参加するかどうかの判断は難しいという話だったのだが、できれば十月にでも参加できたらなとは思う。七月も考えたのだが、真夏の東京は毎年熱中症に罹っている私には厳しい予感がする。
先行き不安と綴っていながら、まあそん時はなんとかするんだろ?私よ。という、いつもの靄の向こうにいる見えない自分に託して参加申し込みのボタンをクリックしているんだろうなと思う。
未来の私が今よりも少しでも優秀でありますように。そんなことは一度だってなかったけど。
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