いろんなカテゴライズする表現はあるみたいだけど、それが自分に該当してるかどうかを自己判断できずにずっとモヤモヤしてたことがある。 いつからそうなったのかは不明だが、気がついたら「アロマンティック」とかいうのに分類されていたらしい。 らしいというのは、セクシュアリティ的なものは先天的な印象があったため、私のように突然、誰にも恋愛感情を抱かなくなったことが該当するのか不明だからである。 まあ私が何に属するかはどうでもよくて。 恋愛感情という機能が失われた人間が、恋愛感情を書いているのもおかしな話だなと思った次第でして…。 かつて備わっていた記憶を元に書いている部分もあれば、自分の中にある感情は見えないけど、誰かが演じていたり描写されているものは可視化されている。だからそれは理解できる。 という、なんともハチャメチャな話なんだが、そんな私が書いた愛だの恋だのには、リアリティが欠けているのではと疑問に思ったのだ。 もはや欠けているのかどうかすら自分でも判断できない。なくしてしまった感情の答え合わせはできないのだ。 好きになるとか愛し合うとか、どういうロジックなんだろうなーと、頭を悩ませながら、この二人はどうして互いを必要とするか。惹かれるとはいったいどこに何を求めてなのか。そうやってパズルのように、「これか?このピースか?」と二人が繋がるようにピースを繋げていく作業的なものが、果たして「愛」と呼べるのか?とずっと思っていたのだが。 先日たまたま見た韓国映画のワンシーンで「愛といっても、赤だったり青だったり、いろんな色の愛がある」という台詞を聞いて、「あ、愛は一種類ではなく多様性があるんだ」と気づいた。目からウロコだった。やくざのおじさんの台詞だったんだけど。 愛とか恋とかを忘れた私が思う、愛の色が書けたらいいなと思う。
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