喪服をずぶ濡れにして、尾形が杉元のアパートに突然押しかけてきた。
夜の十時過ぎ。都内はゲリラ豪雨に襲われた。
「誰の葬式だったんだ?」
バスタオルを手渡しながら、杉元はおずおずと尾形に問いかけた。会社の上司か、友人・・・はこいつにいたのだろうか。バスタオルを受け取った尾形が、わしわしと髪の毛を拭いているのを見ながら、杉元は答えを待つ。濡れた真っ黒なジャケットをハンガーにかけ、エアコンの下に吊るした。雨に流されてもなお、微かにそこからは線香の香りが漂った。尾形は「知り合い」とだけ小さく答えた。
尾形は杉元に断りもなく風呂場へ向かった。シャワーの水音を待っていたかのように、杉元は「喪主のくせに」と呟いた。
杉元は花屋に勤めていた。その日も葬儀場に花輪を配達に行っていた。店名が塗装された白いバンから花輪を下ろした。遠くで、一丁前に尋問客に頭を下げる尾形が目に入った。杉元はキャップを目深にかぶり直し、運転席へ戻った。
風呂場から出てきた尾形は口を開かなかった。杉元も黙って安い発泡酒を差し出した。
「まっず」
喉を鳴らして三分の一ほど一気に流し込んでおきながら、尾形は皮肉を口にした。
普段どんだけ良いビールを飲んでるんだと、杉元は腹立たしくなった。だが発泡酒を口にする尾形の横顔に、杉元の溜飲が下がっていく。
おそらく、今のこいつにはうまいと言えるものはないだろう。エビスだろうがプレモルだろうが、きっと美味さなんて感じられない。尾形の無礼に、怒りの代わりに同情が沸いた。
突然ずぶ濡れで押しかけてきたかと思えば、勝手に風呂を借り、善意で差し出した発泡酒に文句を言う。いつもの憎らしい尾形と言えばそうだが、杉元は昼間見た尾形を思い出した。
何も話してくれないことを寂しく思う間柄でもないはずだと言い聞かせる。聞き出すことに臆病になっているのか。
ただきっと、尾形は葬儀場からまっすぐここに来た。その理由がわからないほど、お互い子供でもないし、短い付き合いでもない。
杉元の鼻先を時折通り過ぎる、白檀のにおい。叩きつける雨の音。涙ひとつ流さない尾形。
一年前の今日だった。急激に黒い雲が空に広がり、雨粒が無遠慮に窓をノックした。
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