杉元が不器用ながらに話題を振っていることは、尾形にもわかっていた。
だがどういう受け答えが正しいのか。尾形にはわからない。ハタチかそこらの若者の会話に必ず出てくる「どこ中?」という無敵で無遠慮な会話の糸口も、尾形には答えられない。尾形には過去がない。世間的に空白とされた過去は、無に等しい。
ここ数年で世間話らしい会話をしたのは、弁護士くらいだろうか。
事情を知らない杉元を含む町工場の従業員は、そんな尾形を訝しんだ。だが特別気分を害していたというわけではない。むしろ杉元は、尾形を恐れた。
接する時の力加減を間違えれば、容易に壊れてしまいそうで。
尾形も尾形で、町工場の従業員、その中でも特に杉元が自分に接するときに、緊張を真綿でくるんでいることを感じていた。丁重に扱われれば扱われるほど、尾形は居心地の悪さを感じていた。
尾形を取り囲む環境は、冷たく暴力的だった。
母親の地雷が至るところに散りばめられた地面に、慎重に足を運ぶ作業。
小学生の時に友達の家で遊んだ、黒ひげ危機一発ろいう玩具。尾形は母親のようだと思った。樽に空いた穴の中に、おもちゃの剣を順番に刺していく。ランダムで設定されたスイッチに剣が触れると、樽から黒ひげの人形が飛び出してくる。子供達は驚きとそのコミカルさからゲラゲラと笑った。尾形は思う。自分はいつも、このどこかわからない母親のスイッチに無作為に触れているのだと。
母親の黒ひげ危機一髪から逃れるためには、本体ごと消してしまうしかなかった。尾形が救われる道は、決してそれだけではなかったはずだ。だが中学生の尾形にはそれしか思いつかなかった。
ようやく冷たい暴力から逃れた尾形を待っていたのは、法による裁きと、同じように罪を犯した少年たちとの共同生活だった。
同情してくれた弁護士もいた。調書を取りながら泣き出す警察官もいた。だが、彼らの感情は、尾形自身に向けられているとは思えなかった。「可哀想」と書かれた付箋を身体中に貼り付けられ、時が来たら彼らの同情や涙は、彼らの記憶からも消えるだろう。
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