Twitterで途中になっていた尾杉小話。随時更新していく予定。
虐待の疑いがあった母親を殺害した罪に問われた、15歳の少年の判決が決まった。
なすすべもなかった状況を考慮されるも、判決の結果は懲役5年。少年だった尾形は、20歳の春に少年院を仮退院した。
再び空の下での生活が始まる。更生保護施設を出たあとは、篤志家である、他県の町工場を経営する夫婦が、尾形の身元引受人となった。
工場長は尾形を自分の経営する町工場で働かせた。従業員は10名。郊外のさらに外れにある、部品製造工場。
トタン屋根に、大げさなガレージのような建物。事業規模は決して大きくはないが、経営は悪くはないようだった。
もちろん、従業員は尾形がかつて「少年A」だったことは知らない。事件を報じたニュースでも、未成年だった尾形の名前は伏せられていた。少しばかり話題にはなったが、世間はすぐに別の残忍な事件へと関心を向けた。
工場長は「親戚の子をうちで世話することになった」とだけ、皆に尾形を紹介した。
従業員の中に、尾形と同じくらいの年の青年がいた。杉元といい、どうすればそんな傷が残るのかと、首を傾げたくなるほどうかったの、大きな傷が顔を横断していた。
高校を卒業と同時に町工場で働いていた杉元に、尾形は仕事を教わることになった。尾形は器用で物覚えもいいが、世間話というものが通用しない。年が近いからと、尾形の指導役にと工場長が気を遣ったようだが、青春時代のほとんどを少年院で過ごした尾形には、年相応の話題に疎かった。
(テストなのでとりあえず今日はここまで。)
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