尾形百之助は苛立っていた。
殺したいほど憎くてたまらない相手に向けるような目で、舌打ちをする。だが尾形の苛立ちを嘲笑うかのように、その視線の先は静かに、確実に、そして勢いよく尾形の貯玉を吸い込んでいく。
隣の席では賑やかな演出がひっきりなしに鳴っている。ジャラジャラと勢いよくパチンコ玉が吐き出される。
尾形はたまらず席を立った。決して悪くはない台だった。むしろ昨日の閉店時から目をつけ、朝から並んでまで得た台だった。
ひとつ隣のレーンに座る、坊主頭を目指して歩く。白石を呼び出して打たせていた台も、空振りだった。
「今日はもいい、帰るぞ」
白石の後ろから顔を近づけて声をかけると、尾形は勝ってもいないのに景品カウンターへと向かう。
白石は戸惑いながらも尾形の後を追う。
換金できるほどの玉はないが、景品の菓子くらいとは交換できる。尾形はガラスケースの中から、ひとつを指さす。
その様子を眺めながら、白石は「ははぁん」と物知り顔をしていた。だがそのことを茶化す行為はあまりにも愚かだということも知っている。ここは見て見ぬふり、もしくは意図はわからぬが興味のないふり。をするのが得策だと、白石は考える。
尾形との付き合いはそこそこ長い。たまにこうしてパチンコの代打ちに呼ばれては、稼がせてもらっている。無職の白石にとって尾形は有難い存在であった。尾形にとっても、呼べばすぐ来る無職の白石の存在は重宝していた。
帰宅すると起き抜けの杉元がソファーに横になってテレビを見ていた。時刻はすでに昼になろうとしている。
「おかえり」
杉元は尾形がこの時間にパチンコ店から帰宅することが、何を意味しているかはわかっている。
パチンコで生計を立てている尾形と暮らし始めて一年にはなる。朝早くに家を出て、パチンコ店が閉店する午後十一時をすぎて帰宅することもある。
だが今日のように閉店時間より前に帰宅する日は、今日は出ないと見切りをつけた日である。杉元は尾形が早くに帰宅しても、言及しない。機嫌の悪い猫に噛みつかれないよう、注意を払う。
尾形も杉元が気を遣って何も言ってこないことには感謝していた。だから尾形の方も、何事もなかったかのように振る舞う。玄関を開ける前に、深く息を吐き、不機嫌さを取り払う。
尾形は冷蔵庫から缶ビールを取り出して、その場でプルタブを開けて、ぐいと喉に流し込む。勝っても負けても、この習慣は変わらない。
「俺も飲も」
休日を謳歌しようと杉元も昼間っからの飲酒に付き合う。冷蔵庫の中に手を伸ばす杉元の背中に、尾形は上着のポケットから取り出した箱を突きつけた。
「痛い!なんか角が刺さった」
たいして痛くもないくせに大袈裟な、と尾形は振り向いた杉元の顔に無関心を装う。
「やる」
それだけを言うと、尾形は杉元の体温が残るソファーにどかっと座った。ローテーブルに足を乗せる癖をいつも杉元に注意されるが、今はそういう態度をとらないとやり過ごせる気がしなかった。世の中の浮ついた風習に踊らされているようで、自分に嫌悪する。くだらねぇと唾を吐いていた過去の自分に、指をさしてからかわれているようで、気分が悪い。
リモコンを手に、チャンネルをザッピングしても、尾形の気分を紛らわせてくれるような番組は、どの放送局も流してはくれなかった。
「何このチョコめっちゃうまい!パチンコ屋の景品も捨てたもんじゃないぞ、尾形!」
缶ビールを片手にチョコを摘む杉元が、はしゃぎながら尾形の横に座る。
「おまえも食ってみろって」
「ビールのつまみにチョコはねぇだろ」
興味のないテレビを見ながら尾形は缶ビールを口にする。
期待はしていなかったが、それが何を意味しているのかを、この男は気づいていない。それならそれでいいと、尾形は思う。こんなお菓子メーカーの策略に乗って、恋人にチョコを贈るなど、自分の柄ではない。バレンティウスもきっとあの世で、おまえの柄じゃないと言っているはずだ。
そんなことを考えていた尾形の視界が暗くなる。テレビ画面は遮られ、代わりに杉元の甘ったるい唇が触れている。
「俺、本命チョコって初めてもらったから、すげぇ嬉しい。ありがとう」
「だったらもっと大事そうに食えよ」
杉元の手にした箱の中身はすでに空になっていた。
腕を回して擦り寄ってくる杉元を無視して、尾形は唇に残る甘ったるさをビールで流し込む。こんなことならちゃんと言って渡せばよかったという、後悔も一緒に流し込む。
素直になることのできない尾形にも、聖職者は手を貸してくれた。そんな日なのかもしれない。
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