さっきこのジャンルにハマって二年も経ってると気づいた
- すけきよ
- 2020年7月29日
- 読了時間: 4分
私の体感と、時間の流れとの間にズレがあるのはさておき、思い返してみるとたしかに二年分はあったな。いろんなことが。
その「いろんなこと」をひとつずつ記憶から取り出していくと、二年という長さにも納得ができる。こりゃ二年分だわ。この容量は二年に相当するなと。
だいたい何があったかは過去のブログにもらほら出てくるので割愛するが、やっぱり一番質量がでかいのは、都内のオンリーにサークル参加したことだろうね。
この二年で、というよりも、人生においてけっこうな大きさの出来事だった。
ここからけっこう重い話になるけど、なるべくソフトな文面を意識して書く。極力、さらっと読めるようには努めるけど、あまり楽しくはない話であることだけは頭に置いておいてほしい。
そういう話が苦手な人は、引き返すのもありだ。
遡ること、もう何年前だったか数えるのも面倒なくらい昔。
人から殺意を向けられ、死を覚悟したことがあった。
あーどう書いても重いな。
まあ今こうして生きてるからそれはいいとして、その時なぜか、これはほんとうに今でも自分のことながらに謎んだが、「同人誌出すまで死ねねぇ!」って思ったんだよね。まじで。
死が目の前に迫っている最中で、もっとほかに生への執着を代表するものがあるでしょうよと、咄嗟に私は自分の思考に突っ込みを入れるほどだった。なんか、ほかにあるでしょうよ。生き続けなければならない理由がさ。
でもその時はちょうど二次創作をしていた時で、自分のサイトに作品をアップする程度活動しかしていなかったんだけど、やっぱりいつかは本にして即売会で頒布したいと、小さな夢みたいなものはあったんだよ。夢というほどでもないかもしれない。ぼんやりと「いつか」を成せる時がくるかもしれないと。それは自発的というよりは、機会のような、向こうから訪れるもののようなものと思っていたかもしれない。なんにせよ、なんかしらのきっかけを待っていたんだと思う。
それが窮地に立たされた時に、いつかチャンスがあれば、ではなく「私は同人誌が出したい」という、確固たる願望だったんだろうよ。今になって思えば。
「やりたいなあ」などという、あわよくばやりたい、ではなく、「どうしてもやりたい」だった。
私は元来、やりたいと思ったことは技術が技術が伴っていなかろうが手を出さずにはいられないたちだったのもあるんだろう。
まあそうやって、その後なんやかんやで命拾いした私は地元の即売会でコピー本を出して満足したのである。
しかしその何年か後に、まさか一度同人から足を洗ったも関わらず、都内の即売会でオンデマンド本を出すことになるのだ。
つまり私は地元の即売会でコピー本をしただけではまだ満足していなかったようだ。
生きてると欲望がアップグレードされるらしい。
思い起こせば、昨年九月のユーカラで二次創作から足を洗うはずだったんだよ、そういえば。
冥土の土産のつもりでサークル参加したにも関わらず、ユーカラから一ヶ月も経たずに次回のオンリーにも申し込み(例のウイルスで延期になり結局不参加にしたが)年内に新刊を出すとまで言っている始末だ。
生きたい目的だった、生きるための選択と決断を私に与えたコピー本から、冥途の土産にと参加したオンリーを経て、年を跨ぎ2020年。東京オリンピックなんて人生の計画書にはまったくなかった。2020年どころか平成の次の年号なんて知ることもないと思ってた。東京オリンピックは結局延期になったけども。
二次創作なんてたかだか趣味。なくても生きていける。仕事がない方がよっぽど生命に関わる。だけど私の人生が終わるかどうかの時に、なぜか現れる二次創作。
たぶん今生きてるのは単なる偶然だし、死ぬのも偶然の成り行きだったりすることもあるけど、偶然にも生死に関わってきたひとつだったなあと、今ふと思い出してこれを書いている。
私はおもしろい偶然の中で、自分が何者でもないと絶望して生を手放したくなったり、飛び上がりたくなるような嬉しい言葉もらったり、何十年かぶりに人前で嬉し泣きしたりだとか、自分にも人並みにきることがあったんだと思えたり、ジェットコースターのような起伏の激しい感情に振り回される、この趣味を足掛け数年やってるってことがなんだか不思議なんだよね。なんでやってんだろうって。なんでやってるんだろうって思いながらも止まらない、不可抗力が自分の意思とは別のところにあるのかなって思うと、誰のためでもなく完全
これはほぼ百パーセント主体で書いてるんだろうな。
好きとか嫌いとで分類できない部分にある。私が物語書くということは。たぶん。ねむいから推敲しないでこのままあげるから文章めちゃくちゃだろう。
全然関係ないけど、明日映画館にナウシカ見に行くんだ!
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