相手はこちらに銃を向けている。
廃ビルの一角。杉元と尾形はそこを拠点としていたテロリストグループを追って五階まで駆け上がった。当然、使用者のいないビル内の電気系統はすべて止まっている。エレベーターは物静かなただの箱。階段を上りきったころにはさすがに二人とも、肩で息をしていた。
慎重に廊下を進む。張りつめた緊張感は息を呑むことさえ忘れさせた。足音ひとつない廊下に、ドアが開く音が空気を割くかのように響いた。
互いにはっとした顔で目が合う。数秒にも満たない沈黙のあと、相手は腰から拳銃を取り出し二人に向けた。しかし二人とも、両手をあげることもなく、ただじっと、テロリストとおぼしき男を見つめている。じりじりと時間だけが過ぎていく。怯えも焦りも映らない四つの目が、男を捉えている。今、この瞬間、命を握っているのは男の方だ。なのに拳銃を持つ両手が震えている。食いしばった歯からガチガチと音が聞こえてきそうだ。
杉元は左側に立つ尾形の肩がほんの僅かに動いたのを、目の端に捉えた。男に気づかれぬ速さで一瞬だけ、尾形の右の手元に視線を動かした。尾形の指が微かに合図していた。指の第一関節を動かし、今さっき上ってきた階段へむかえと指示している。
杉元はもう一度視線を男へと戻した。眼球が動揺で揺れているのを確認すると、なんの合図もなしに背を向け来た道へ走り出した。それとほぼ同時に、尾形は男に向かって飛びかかった。同時に二人が動いたことで、男はさらに動揺を大きくし、隙ができた。飛びかかった尾形と揉み合いになるも、一瞬でも隙を見せた男の勝算は低い。
顎に一撃を食らわせられ、足元がよろめいた。尾形はすかさず男の後ろにまわり、腕で男の首を絞める。男の口からうめき声が漏れ、拳銃を握った手から力が抜ける。尾形は男を捉えている反対の手で手首を力いっぱい掴んだ。男の手から拳銃が落ち、くるくると回転しながら尾形の足元をすり抜けていった。
杉元はといえば、おそらく仲間が騒ぎを聞いて窓から逃げ出したと予測していた。階段を駆け下り、四階の廊下の柵から飛び降り、室外機や排水管を伝って降りてきた仲間を待ち伏せて捕らえていた。
「まさか四階から飛び降りるとは思わなかったな」
公安直下と言えど、鼻つまみ者の集まりである特別捜査班は、隠れ蓑として一般企業を名乗るビルに拠点を構えていた。本署の連中に犯人を引渡し、ビルの屋上で尾形は煙草を咥えながら言った。
「おまえが行けっていうからだろ」
屋上の柵に寄りかかって並ぶ尾形に、杉元は納得のいかない顔を向けた。その顔に尾形は煙草の煙を吐いた。
「あいつらが壁つたいに降りるより、階段を降りた方がどう考えたって速いだろ。俺のせいにするな」
尾形は杉元のスラックスの下に巻かれているであろう、包帯に視線を落とした。どうやら飛び降りた時に足を捻ったらしい。
「これ、労災おりんのかな」
「おりねーだろ。おまえの判断ミスだ」
罵りあう二人の会話が一瞬途切れた。まるで会話の流れのひとつかのように。どちらかが言うでもなく、二人の口は互いによって閉ざされる。
「いくか。また所長にどやされる」
携帯灰皿に吸殻を押し込めて、尾形は踵を返した。
「おい、ひとりで行くなよ!肩くらい貸せよ!クソ尾形!」
「リハビリだ、リハビリ」
尾形の背中から、乾いた笑い声が梅雨の合間の晴空に消えていった。
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